【 第2章 】
「それじゃあ、みんなの出会いを祝して、かんぱーい!」
細身のグラスが軽やかに鳴って、店内に歓声が広がる。
気後れしそうになるのを堪えて、おずおずとグラスを前に出す。
なんとか乾杯の輪に混ざった。
口に着けたグラスを傾けて、
注がれたカクテルを口の中へ。
華やかな見た目に反した高い度数がお腹へ落ちてくる。
「よーし、みんな今日は楽しくおしゃべりしよ~!」
そう言った橋戸さんの音頭が落ち着いたのを見計らう。
「ね、ねぇ橋戸さん……。」
「どしたの柚葉?もう誰かいい人決めちゃった?」
「ち、違うってば。そもそも私、こんな場所だって知らなくて……!」
「あれ?言ってなかった……か。ごめんごめん。」
そう言ってへにゃりと笑う橋戸さん。
悪い子じゃないのは分かっているのだけど。
「いや、柚葉だって少しは興味あるでしょ?
今日みたいに当たりが多い人が揃うのってなかなか無いよ?」
「そりゃ、そうかもだけど……。」
「あ、でもあの人だけはキープさせてね?
みんな一瀬さん狙いで来てる……って、柚葉もそうだったりする?」
「ち、違うよ!そもそも知らなかったもの。」
「そっか~、よかったぁ。」
「なんで?」
グラスを軽々と空ける橋戸さんに、
軽く気後れしつつ聞いてみる。
「他の子たち、ちょっと目がギラついててさ~。
柚葉が普通に楽しんでくれてるだけで、
私ちょっと安心したよ。」
誰のせいだと思っているのだろう。
チラリと、もう一人の“原因”を盗み見る。
「一瀬さんって、普段は何されてるんですか~?」
「……研究。」
「えー、私たちとそう変わらない年齢で!?」
「大学を“使わない”のが、もったいないだけだ。」
質問を投げた女の子が、はたと言葉に詰まる。
見惚れた人が浮かべる、ぽかんとした顔。
いきなり有名人が目の前を通りすぎたときの、あの空白。
「うわー、すごいなぁ。やっぱり秀才って呼ばれる人は違いますね。」
「うんうん、説得力が違いすぎ。」
「……普通にしてるだけだ。」
「そういうとこー!」
対面に座る女の子たちがキャッキャと盛り上がる。
まるで芸能人でも囲んでいるかのような熱気。
……なんで、彼がこんなところにいるのだろう。
一瀬蒼真。
見た目の良さなんて、今さら言うまでもない。
こんな合コンに参加したとあらば女子たちが色めき出す。
明日以降にゼミがいくつも荒れないか心配だ。
それだけでは無い。
大学の中でもとりわけ優秀だと、教授陣からも一目置かれているのだ。
しかもそれを何食わぬ顔でやってのけていく。
(そりゃ、ほっとかれる訳ないよね……)
「一瀬さんって、地元はどこだったんですか?」
聞こえてきた橋戸さんの質問。
顔に出さないよう気を付けるけど、耳をそばだてるのは止められなかった。
「親の転勤が多かったから、どこが地元と言われてもな。」
「あら、気に障る質問でした?ごめんね。」
「いや、いい。
……それに。」
コト、とグラスをテーブルに置く音。
「最近、昔馴染みが元気だってこと、偶然知った。」
「えー、なにそれ!男の友情的なやつですか?」
はしゃぐ橋戸さんの声を聞き流しながら、
そっとグラスに口をつける。
気づかれないように、胸の奥の熱を吐き出すように。
「ね。白石さん、だっけ?」
「は、はい。」
ふと前方から声が聞こえてきて、はたと顔を上げる。
「楽しんでる?……ちょっと緊張してるかなって思ってさ。」
「い、いえ。大丈夫です。ちゃんと。」
「あはは、そっか。
あ、まだきちんと言ってなかったね。
俺、長谷部。よろしくね。」
「ど、どうも。白石です。」
思いがけず話しかけられた。感じのいい顔の人。
それに、声も落ち着いていて、変な圧を感じない。
「うん。なんか飲み物、追加する?」
「あ、いえ。あまりお酒、強くなくて。」
「そう?意外と飲めそうに見えたけどな。」
そんなつもりはなかった。
潰れたくないから、むしろ慎重にしてたはずなのに。
「いやー、しかしさ。」
頬を指先でいじりながら、長谷部さんが言う。
「今日来た女の子たち、みんな一瀬狙いだよね。」
「そ、そうなんですか?」
「まあ、そりゃね。男からしてもちょっと反則なやつだし。」
苦笑する長谷部さん。
気後れしてしまうのは、自分だけじゃないらしい。
「……でも、俺は、来てよかったと思ってる。
白石さんにも会えたし。」
……え?
「なんて言うか、品があるって言うかさ。
ちょっとした動きが綺麗だよね。」
え、え?
これ、私が話しかけられてるの?
そんなに悪い感じのしない人から?
「よかったら、シャッフルのタイミングで隣に行ってもいいかな?」
え、やだこれって……。
そういうこと、だよね?
ここが、そういう場所だってことは分かってた。
でも――本当に、あるなんて。
壊してしまうのがもったいない空気。
頷くほうがきっと、この場にいる人にとって“正解”なんだと思う。
……それは、分かっているのに。
「す、すみません。ちょっと、お手洗い……」
喉に張り付いた何かを、無理やり引きはがして出した声。
自分でも、震えていたのが分かった。
けど、もう止められなかった。
せめて。
せめて足取りだけでも、逃げ出したように見えませんように――
そんなことばかりを考えていた私は、
自分に向けられていた視線に、最後まで気づかないままだった。
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